キャズム
ハイテク商品のマーケティングについて、の本。
市場というのは求められている製品によって分割することが出来るが、さらにその分割された市場の中でも、ユーザの価値観の違いにより分割することが出来る。そして恐ろしいのは、同じ市場にいるはずのユーザ達もその価値観が違うというだけで、全く違った営業を行わなければならなく、そして、その市場の初期からメインに移り変わる、その間にこそ大きな断絶――キャズム――が潜んでいる……というような内容。『キャズム』のこちら側とむこう側では何が違うのか、『キャズム』を超えるために何が必要なのか、キャズムを超えた後には何が待ち受けているのか。それらを実際の事例を交えつつ詳細に解説している。ハイテク商品に限らず、何か商売を始めるのであれば一読しておいても損はない、そんな内容の一冊だ。
この『キャズム』を読んでいる最中、新たなハイテク商品を開発、販売し、キャズムを超えてマーケット・リーダーになるのは挑戦しがいのある、とても楽しそうな仕事に思えてくる。もちろん、この本を読んだからといって何もかもが上手くいくわけでもない。それは「○○○○は素晴らしい。腰痛も治すし、宇宙人の誘拐も防ぐ。それに何より所有しているだけで優しい気持ちになれる」と言っているようなものだ。あまりにもうさんくさすぎるし、現実味が無い。しかし、一つの挑戦に対する方法を知ってしまうと(何かしらの知識を得ると)、それを試したくなるのも人の性というものだ。いつかは挑戦してみたい。
そんな風に意気揚々と読んでいたのだが、最後の方にあった(開発者に対しての)アウトプットに対して対価を支払う者がいるかどうかに拘わらず、彼らはアウトプットを創出しなければならない
(※注)という一文に、どうしようもなく暗い気分になる。つづく文章は彼らの交渉力は本質的に弱いものとなり、報酬もそれを反映したものとなる
。つまりはそう言うことだ。僕らソフトウェア・エンジニアは作ってナンボ。動かしてナンボ。出力して当然であり、なにも作らないヤツはソフトウェア・エンジニアとは名乗れない。だからこそソフトウェア・エンジニアをやっているだけでは大金持ちにはなれないし、(むしろ本能的に解っているのか)、金にガツガツしたヤツをあまり見かけることがない。彼らは、むしろ金よりも技術や革新を愛し、尊んでいる。つまりは、それらを愛せなければ、自分の価値観の中心近くにおけなければ、ソフトウェア・エンジニアになることも、それを続けていくことも、難しいわけだ。
僕は今後、それをどう考えるだろう? 純粋に経済活動と考えるならソフトウェア・エンジニアは難しい職業だ。もっと効率の良い職業が他にあるからだ。それが出来るか、それに関われるかどうかは兎も角、そして、資本が少なくても出来るという利点があるにせよ、ソフトウェア・エンジニアだけでは限界があるだろう。
ではどうするか?
道は二つ。ソフトウェア・エンジニア以外になるか、他のスキルを持った人と組むかだ。或いは、ソフトウェア・エンジニア以外のスキルも身につける、という選択肢も考えられるが、ジャンルを超えた幅広いスキルを持つということは、短期的には悪くはないが、長期的にはどっちつかずで、結局、どちらにおいても負けてしまうだろう。何かに特化している方が矢張り強い。それに、全てを乗り越えてしまえるだけの自信もない。それに、もう、僕はもうソフトウェア・エンジニアを一生続けると決めてしまった。もちろん、本当に続けられるかどうかは解らないし、もしかしたら他に興味を持てることも出てくるかも知れない(実際にいくつか候補はある)が、同じぐらいの重要度であれば、僕はほとんど迷うことなくソフトウェア・エンジニアを選ぶだろう。それ以外をやったことがないのだ。どうして他の道が選べるだろうか?
※注
開発者をないがしろにしろ、という事ではなく、開発者に必要以上の報酬を支払うな、という文脈での一文。開発者は必要ではあるが、開発者だけでは成功できないのだ。