デッドライン

日経BP書店 書籍紹介-デッドライン(ISBN 4822280535)
2004/04/16 記
 まさか、本の内容が物語だとは思いもしなかったが、それでもプロジェクト管理についての本であることには間違いない。この本は物語という形をとった、一つの思考実験のようなモノなのだ。

 最初に、当然ながらプロジェクトがある。とあるプロジェクト。企画があり、技術者がいて、期日がある。プロジェクトは6つあり、その規模も大きいのだが、それでも集められた技術者の数は多く、主人公はそこで各プロジェクトに3チームずつ作り、合計18チームで制作にあたらないか、と提案される。各チームはそのパラメータを変えて設定される。人数が多すぎるチーム、少なすぎるチーム、ちょうど良いチーム。そんな風に分けられたチームを使っておなじ製品を作り、プロジェクト管理における管理実験をしてみてはどうか、と。
 この時点でもう胸がいっぱいだ。そんな、大変だが素晴らしく面白そうな世界が、今、目の前に書かれている。現実は泣けるくらいに正反対だから。

 そして次の、いや主人公の最初の行動は、既に始まっているプロジェクトの運営方法を正すこと。プロジェクトの目標は大きく、主人公が見なければならない範囲は大きい。その中で、既に始まっているものもいくつかあるのだ。いや、全てが始まった後に主人公が呼ばれた、の方が正しいだろう。その管理方法があんまりだったので、主人公はそれに対して対決を迫るのだ。自分自身の命をかけて。
 その管理方法というのは脅迫だった。期日までに仕上げなければ明日はないぞ、と言った具合だ。世界中、どこでも見られる光景だ。管理者という奴は、脅しを使う。部下を脅して仕事をさせようとする。その内容が仕事に関するものだろうが、命に関するものだろうが、本質は脅しであることに代わりはない。それに対して、主人公が、文字通り命をかけて対決するのだ。これもまた、胸がいっぱいになるシーンだ。

 しかし、その対決はあっさりと終わる。相手(最高権力者だ)が、あっさりと自分の非を認めるのだ。いや、非とすら思っていないが、主人公の方がプロジェクト管理を自分より巧くやる、と認め、任せると言うのだ。決して言い争いに疲れたからでも、投げやりだからでもない。そして、管理というモノに理解を示している。好きにやって良い、と。

 そうなると主人公の次の行動は、管理者を捜すこととなる。チームが18もあれば、当然一人で管理できるわけもないのだから。そして優秀で個性的なメンバーが集まる。仕事というモノを真剣に考えている、管理者として経験を積んだメンバー達が。彼らは……驚くことに、管理チームとして機能し始める。競争がないのだからそうなるのだ、とも言えるが、僕は人生において(デマルコ的な)チームとしてまとまった管理者、というものを見たことがない。そもそも、チームというものを見たこともないのだが。

 やがて管理チームは、面接をし、人を集め、プロジェクトを進めていく。そして、自分たちで解決できないと見るや、すぐさま外部からコンサルタントを招き、意見を聞いたり、学習したりする。それ以外にも、良いと思ったものはどんどん取り入れていくし、そのための大きな支援を受けている。本当に素晴らしい、理想的な物語。このあたり(10章くらいだ)になると、この物語が面白くてしょうがなくなっている。本当に心躍る内容なんだ。けれども、そこに障害が現れる。無理解で無慈悲な権力が。

 ”病んだ政治”と呼ばれるそれは、主人公を追いつめる。無茶な期日を設定し、無茶なことを言う。人数を倍にすれば、半分で出来るじゃないか。もっと圧力をかけろ。奴らを遊ばせるな。完成が遅れるごとに損失が生まれるんだ、解っているのか?
 これまた泣けるくらい良くある光景だ。日常と言ってもいい。そして主人公はこの”病んだ政治”に悩まされ続ける。けれど、それでも主人公はへこたれない。彼は戦い続けるし、管理チームもそれをバックアップする。

 そういう風に、数々のネタを悩み、解決し、時に失敗しながら物語は進んでいき、そして終わっていく。

 プロジェクト末期、「あなた仕事は終わった」と主人公は告げられる。あと出来ることは、静かに見守ることだけだと。主人公は寂しいと言い、僕はデーブ・カトラーの『人生最良の時が終わった』という言葉を思い出した。良い管理というのは、それが実行されるときにはもう全てが終わっている、ということなのだ。それは確かに寂しい事だと思う。そして、最後にささやかな宴があり、物語も終了する。


 この本を読み終わって、僕の胸はいっぱいだったし、頑張っていこう、という気にすらなった。つか、管理者のための本を読んで、こんなに面白く、そして勇気づけられるなんて思いもしなかった。これは本当に良書だ。
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