My Merry Maybe
KIDなので、とりあえずオープニング順に攻略。約50時間でコンプ。
本来ならPS2で発売されたMy Merry Maybe(以降MMMbe)が、生産終了から既に2年以上たったDreamcastに移植された事自体、奇跡のようなモンだが、さらにKIDゲームとしては初めてGD-ROM2枚組、ケースも2枚収納タイプで、KID営業部にとっては、どちらかというと異色なモノだったのではないだろうか。
さらにDreamcast版は、売上本数690本、PS2版でも5000本と言う、かなり辛い営業成績を残している。
そんな、営業的にどうだったのか微妙なMMMbeだが、システムもかなり『びみお』だ。
正直な感想として、前作のMy Merry May(以降MMMay)より質が落ちているように思える。が、機能は落ちていない。それどころか増えてさえいる。にもかかわらず、質が落ちているように思える理由は3つ。
一つは横スクロール時における、背景と立ち絵の同期がとれていないこと。ゲームには支障もないし、演出としても、そのせいで破綻している様なこともない。が、明らかにシステム上の不具合で、それでも良い、とは言い難い。
残りの二つは、個人の趣味嗜好が大きく作用しているので大きな問題ではない(元々大きな問題は抱えていないが)と思うが、一つは画面デザインを含むUI全般、もう一つはキーアサイン。
画面デザインは、前作に比べて質が落ちていると思う。スタイリッシュではない。本当に”デザイナ”がデザインしたのだろうか、じっくりと時間をかけて? UIに関しても、よく言えばストレート、悪く言えば稚拙な印象を受ける。細部に至るまで凝った(それでいてクドくない)演出を、という前作の勢いが感じられない。
もう一点のキーアサインは、単純に前作と、そしてこれまで触れてきたKID-Dreamcastシステムといくつかの点で変更があった事に違和感を覚えたにすぎない。ただそれだけだ。慣れてしまえばどうこうという事でもない。
その3点以外については相変わらず、つか、指摘したとおり機能を増やしてすらいる。ジュークボックスの並び替え機能、シナリオノードに対しての既読%表示、シナリオタイトル表示、等々。
そして、前作システムの目玉だったスクロール処理が、思う存分、演出として多用されている。立ち絵だけで、ひたすら動き、ドラマを作り上げている。おそらく、演出が慣れてきたことと、オーサリングツールが充実したのだろう、ということが、重なった結果だと思う。
ズームイン、ズームアウト、スクロール、見ているだけで相当に楽しい。この感覚は、NINTENDO64の「ワンダープロジェクトJ2」に近いモノがある。
が、その演出で残念なことが二つ。
メッセージスキップ時に楽しくほんわかさせた上に、わかりやすい演出としてスゲェと思っていた『まいめりーめい』劇場が閉鎖されてしまったこと。VM表示のお遊びがなくなってしまったこと。
その理由も色々想像できるんだが、それでもなくなってしまったことを残念だと思っていることにかわりはない。
そして相変わらず頻繁にGD-ROMへのアクセスが発生し、Dreamcast本体がブッ壊れるんじゃないかと最初はヒヤヒヤしたもんだ。そしてやっぱりその影響でテンポも悪い。そしてやっぱりその分、音声の質も良いし、相変わらず台詞表示と音声内容が演出上同一でかなったりもする。PS2版は一体どういう風に動くのだろうか? KIDの、いくつかのゲームのように、PCへの移植はあるのだろうか? それで快適にプレイできる、と言うのであれば、Dreamcast版以外のモノをおすすめする。やっぱDISCの入れ替えってめんどくさいのよ…。
と、システム的にはほんの少し不満の残るMMMbeのシナリオだが、MMMbeを楽しむためには、大前提として、MMMayをコンプリートしておかなければならない。
はっきり言ってしまえば、MMMbeは、MMMayの「みさおAエンド」以降のお話、になる。ので、MMMbeをプレイする前に、MMMayでのシナリオをすべて見ておいた方が良い。もちろん、MMMbe単体でも楽しめはするだろうが、それではこのシナリオにちりばめられた仕掛けの意味を深く理解する事はできないだろうし、何よりラストの、レゥの気持ちが解りづらいと思う。ので、先ずはMMMayをプレイする事をおすすめする。そして、すべてのシナリオを読んでしまうことを。
MMMayをコンプした? MMMbeもコンプした? 或いは、そういったことを気にしない?
オーケー、なら続きだ。
個人的には「みさおAエンド」以降のお話、というだけで購入した甲斐があるんだが、このMMMbe、内容として『人間とレプリスのお話』ではなく、『レプリスに恋した人間のお話』の様に思える。…あくまで、個人的意見なんだが、”それ”は前回やったよね? だから、『レプリスが人間に近づく意味』とか、『人そのものを理解し、再構築して生み出される、道具としてのレプリス』とか、その辺をもっと掘り下げてほしかったと思う。MMMayのお話を、人とレプリスがとても深い絆を持った、パートナーとしての関係を築け、そしてそれは”工業製品”ではないからだ、という風に感じたから。
そんな感受性(レプリスを、パートナーとして認める事)を持っていることを、素敵なことだと思うことはできても、それででも渡良瀬恭一氏がもっているであろうレプリスへの思いを、全く理解できなくもない。道具であること。自ら構築したこと。需要があったからこそ作り出せるもの。知的好奇心を満たすモノ。我々プログラマに、恭一氏に共感できない理由なんて何にもない。が、これはまた別のお話だ。話を元に戻そう。
KIDの伝統にならい、まず、最初にレゥルート。
過去を思い出したレゥを、それでも受け入れる浩人。この時点で、レゥが何を思い出したかははっきりとは語られない。が、おそらく思い出しただけ、だろう。恭介との、『つくみこうこうのあみりょう』での生活と、その結末を。
次に由真/みのりルート。
このあたりで渡良瀬の正体がはっきりしたり、ちまちまと伏線が張られたりする。OP順だと、本当は由真の前にリース、由真の後は鏡なんだが、シナリオ構造は、レゥ→由真→みのり→リース→鏡→穂乃香となっている。
つか、ハラボテ(由真)な上に、またしてもちゅーがくせ~(みのり)かよ!
が、由真BエンドはMMMbe作中、(恐ろしく個人的に)かなりの屈指なシナリオなのでオススメ。つか、やっぱり、むしろこの後の事が気になるんだ。すべてが一度に消えてしまった後、岸森は何を思って、どう行動するか、そのことが。
そして、リースルート。
リースは前作の扱いに対する不満への要望なのか、これでもか!と言うくらいの充実っぷり。そして、リースA、Bエンドの演出が、MMMayのみさおA、Bを踏まえた形になっていて、グッとくる。…が、たしかにそれはMMMayをコンプした人にとってはグッとくるモノがあると思うんだが、しかしMMMayでグッときた人であればあるほど喰いたりなさを感じると思う。それじゃ足りないんだ、望んだモノを得ているのだから。それもまた望んだ道だ、と思わせてしまうのが。
で、鏡ルート。
やっぱりちまちまと伏線が張られるのだが、それ以前に『酒好きな年上の女性』という形式にニヤニヤしながらプレイ。たえさんといい、鏡さんといい、Q'tronのライターの書く『酒好きな年上の女性』には不思議な魅力があると思う。端的に言うとツボにはまりやすいのだ。単純に酒好きってあたりに親近感を覚えているだけなのかもしれないが。
そして穂乃香ルート。
上記の全員を終わらせないとこのルートは出てこない。そして、そこで語られるのは『再生された存在であっても』だ。代えの存在でも、同じ者ではなくても、未来を思い出すことができなくても、もう一度、出会うことができたのなら、もう一度、恋をしても良いんじゃないだろうか? だ。
生きている以上、そういうこともあると思う。どちらをとってみても、どちらが正しい、と言うわけでもない。
けれども、やっぱり足りないんだ。彼らはおそらく幸せになるだろう。が、そのことで浩人はおそらく忘れていくのだろうと思う。忘れないために、自分に刻みつけてきた”穂乃香”自身を。
浩人はそのことを悲しむだろうか? そして受け入れられるだろうか、その喪失感を?
そう考えると、”穂乃香”の残したテープが残酷なことに思えてくる。浩人、穂乃香、穂乃香’の(脳内)三角関係、というもの、お話としておもしろいのかもしれない。
最後にライカルート。
『プロジェクト・レゥ』の、その結末。あんまりと言えばあんまりな結末だ。けれども、それでも、「あぁそうなんだ」感はぬぐえない。結局、柵の向こうの話であって、岸森の、プレイヤーの感じるものではない。いや、MMMayプレイヤーであれば、叫ばずにはいられないとも思うが、でもそれだけなんだよなぁ。あくまでレゥにとってのお話であって、岸森の話ではないのだから。それを終えて、やっと岸森の、渡良瀬ではない話になるのだから。
そして、MMMayでうけた衝撃、というのは、その上で”得たと思ったものが、実は、(得たが故に)失われたものであった”衝撃であり、そしてその代わりに得たものと、望んだものを比べざるを得ないであろう恭介達の心境が衝撃だったのだ。
だから、望んだものを得て心の平穏を獲得した岸森と、”渡良瀬”の呪縛から解放されて幸せをつかんだレゥは、お話の終わりとしては良くできているのにもかかわらず、けれどもMMMayほどに心には響かない。
そう、考えると、同志大澤の”オチに至る為にレゥ以外の娘ッ子(ある意味『レゥ』自身も含む)の喜びや希望はおろか哀しみや痛みさえもレゥの為の供物として捧げられていたのは気になりました。”に、岸森、そしてプレイヤーを足しても、なんの違和感もないように思える。岸森やプレイヤーですら、レゥを”渡良瀬”から解放するために捧げられた供物なのではないかと、僕はそう結論づける。
そうなってしまうと、もう後はどれだけレゥに感情移入できたか、が評価の分かれ目だ。可愛くて、まぶしいくらい純粋で、生き生きと力にあふれ、人間として扱われていて、時空を越えてしまった、イヤにレプリスとして意識させ、そして、”人間扱い”しかされないレゥに。
で、僕は前記の通り心に響くほどには感情移入できなかった。
けれども。ラストに出てきた次回作を示唆する演出を思うと次に期待しようと思う。
まだ残っている伏線、Type-C、結城みさお、そしてpmfh-000004。
そういった物語ではないかもしれないが。つか、この辺、MMMbeで語られてもなんの問題もなかったと思うんだが…。
もっと大胆に次を予想するのなら、人間に似ていて、人間より優れているレプリスの、種としての確立。果たして彼らに生殖能力があるのかはわからないが、「種を越えて平等に与えられるもの」「新種」と言った具合に、レプリスをただの工業製品と見なさず、人工的であっても新たなる種として見なしている発言が、MMMbeの作中、いつくか見られる。
これ自体が、次回作への伏線…というのは妄想がすぎるだろうか? 当然、人間とレプリスの混血はイケる方向で。さらにレプリスと人間の話、だけではなく、Type-Aレプリスと、Type-Cレプリス、そして、それらの中でも派閥があってセクトの内ゲバとか、遠隔地の工場で次々とブートするとか、バックアップと称して世界中に遍在するとか、そんな感じで。あとは、強く制御をかけられた対レプリス用のレプリスとか、緊急停止コードとか、永久封印とか、特殊武術とか、もはや人の形してないヤツとか(以下略)
My Merry Maybeは、My Merry Mayをコンプしたのなら、プレイするだけの意味はあるかもしれないが、単体でやるほどの価値は見いだせず、かといって、My Merry Mayプレイヤーが満足するか? と言われるとそれは難しいんじゃないだろうかと言わざるを得ず、元々My Merry May自体がマイナーであることを考えるとそんなに数が出ていない事も納得できる。