暗闇のスキャナー
主人公、ロバート・アークターは末端の麻薬潜入捜査官だ。ヤク中どもに紛れて、ヤク中の様に振る舞いながら、取引を重ねて信用を得た売人に、その売人の持つ許容量以上の大きな取引を持ちかけ、結果、自分の許容量を超えた売人が、取引先と直接やってくれ、と言い出すようにしむけるのだ。そうやって、さらに上の売人、その更に上の売人、という風に追っていくのが仕事内容だ。そうするうちに逮捕するだけの売人に会うことが出来る。
そんな仕事だから、ロバート・アークターは自らの正体を、当局にすら隠している。むしろ、それが当局のやりかただ。必要な資金や機材は特別な自動販売機のようなものを介して支給され、そして実際に会うような、例えば対面報告するとき等は、お互いスクランブルスーツと呼ばれる、正体がばれない仕組みを使う。スクランブルスーツを着ると、まるでもやのようにあるけれど正体がつかめない、という風に見えるようになる。そういうものをつかうのだ。そして、そのような仕事をしているエージェントは、結構な数がいた。
ロバート・アークターは実際にヤク中だった。ヤク中のなかにいて、且つ、ヤク中から信用されるには、ヤク中になるしか無いのだ。物質Dと呼ばれるヤクをキメることが、その共同体に同化する唯一の方法だったのだ。ロバート・アークターは他のヤク中同様、身も心もボロボロだった。クズみたいな生活をしていた。病んだ脳を抱え、病んだ精神を抱えていた。そして、そうなる理由も良く解っていた。
ある日、ロバート・アークターはヤクと戦っている一人の捜査官として、スピーチすることになった。台本通りにしゃべる、つまらない仕事。ロバートは話を脱線させる。ヤクが人間をどんなに酷い代物に買えるか。ヤクを使って、人はどれだけクズになれるのか。その話に、観客の一人が質問を投げかける。どうしたらそれを止められるのでしょうか? アークターは答える。「売人を殺すことです」
アークターはヤク中仲間の中では、ボブ・アークターと名乗っていた。ヤク中のボブ。もちろん、その正体は、当局も知らない。だから、アークターはボブのことも報告することになる。ボブはヤク中でクズ野郎です。それどころか、捜査官ロバート・アークターは、ヤク中野郎ボブ・アークターがなにかたくらんでいないか、逮捕しないといけないくらい危険ではないか、とすら考え始める。自分自身のことなのに、でも二つが結びつくことはない。
そうやって、次第次第に病んでいったアークターは、最後にはとうとうダメになってしまう。何もかも、自分自身のことすら解らなくなってしまう。けれど、それですら、当局の仕組んだことだった。アークターをダメにすること。それが当局の望んだことだった。なぜなら、どこからともなく供給される物質Dの生産地と目されるその場所は、そう言った"ダメになってしまった人間"しか入れないからだ。そしてそこに入り込んだアークターは、けれどなぜそうなったのか、まるで解らない。
『暗闇のスキャナー』はそう言う話だ。一片の救いもない。酷くなるだけの世界。それ以外の道が、全く存在しない。訳もわからないまま、アークターはよってたかってダメにされていくのだ。それは彼の選択だと言うのだ。そして、そんな彼を、誰も救おうとはしない。
ディック自身、ヤク中だった時代がある。まさにアークターと同じように、自分の家にほかのヤク中と住み、自らもヤク中だった時代。だからなのか、この話には異様なまでの存在感がある。リアリティがある。絶望感、閉塞感、嫌悪感、虚無感。良い物は何一つ存在しない。汚れたドン底の世界。病んだ精神の世界。胸に迫る。切なく、やるせない。そして、大傑作だ。本当に、すごい。