神の子供たちはみな踊る

新潮社
2004/06/01 記
 短編集なので短編ごとに。

・UFOが釧路に降りる
 いつもの様に、村上春樹的に、当たり前の様に出て行く妻の姿から始まる。結婚を考えたことのない僕にとって、夫婦というのは理解不能な存在だ。そして、妻が出て行った理由、「空気のような中身の無さ」そして、そこから「中身自身について」が語られる。けれども、その"中身"が、人の本質であるのならば、結局の処、それが実体化することはないのだ。たとえ、それがどれだけ大切だとしても。永遠に失われてしまったとしても。

・アイロンのある風景
 中身のない二人が焚き火によってつながっている話。或いは、焚き火によって照らし出されている話。中身なんか無くても生きていけるのだ。ただ、そこに心の震えの様なモノが欠落している、というだけで。

・神の子供たちはみな踊る
 神の子と呼ばれ育てられた主人公は、けれどもその信仰を捨ててしまう。自我の目覚めと共に単純に何かを信じられなくなったし、それを信じ続けられるだけの確信も無かった。そして、何かを信じなければ生きていけないような性格でも無かった。それどころか、物心つく前から信じることを教え込まれたそれは、彼自身の中に深い闇を生み出すことになる。その存在を感じることは出来なかったし、そして神様はあまりに冷徹すぎたから。

 その闇が、二度と目の前に現れることは無いだろう、と主人公が確信できるようになるまで、信仰を持っていたのと同じだけの時間をかけることになる。途方もなく長い時間だ。そうなって、初めて彼は"それ"と向き合うことが出来るようになる。客観視できるようになる。彼の人生は、これからなのだ。

・タイランド
 得ることと失うことはある意味、生きることと等価である、という話。そして、失われたものは二度と戻っては来ない。『人生で二度起こらないことは、ふたつしかない』なんて言葉はわずかな慰めにしかならない。だからこそミニット氏の台詞が、僕の心を震わせるのだろう。

・かえるくん、東京を救う
 切なくなる位、いつもの現実だ。失敗しても誰も同情してくれないし、成功したとしても誰もほめてくれない。責任と名誉の問題。いつもの現実。そんな中、助けが必要だと言えるかえるくんがうらやましく、そして、助けを求められる片桐がうらやましい。その理由が「まっすぐな勇気を分けてくれること」だからだ。「友達として、支えてくれること」だからだ。
 仕事を終え消えていくかえるくんは、だからこそ切ない。けれども、そんなかえるくんですら実体のないものと戦っている。実体のない中身と戦っている。戦い続けている。だからこそ、そんなかえるくんに感情移入せずにはいられないのだ、僕は。

・蜂蜜パイ
 人と人とのつながりもまた、実体のないものだ。時間と共に歯車は進み、もう元には戻らない。でも、その歯車は見えないから戻せないのではないのだ。そして、進んだ後からしか検証できない。先の事なんて何も判らないし、今どうするべきかなんて、どうして判断できるだろうか? 歯車は先に進む。元には戻せない。でも、そうやって進んでいくしかないのだ。そこから少しずつ学び、そして、何かを失ったり、何かを手にしたりするしかない。
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