パーマー・エルドリッチの三つの聖痕
ディックおなじみのディストピア世界。人類は宇宙に進出し、3つの惑星、6つの月に植民地を築き上げていた。しかし、その植民地は名ばかりのお粗末な代物で、人々は開拓に疲れ果て、絶望し、文字通り穴ぐらに引きこもっていた。そんな穴ぐらの中で、キャンDというドラッグが流行っていた。なぜなら、パーキー・パット人形セットと組み合わせることによって、『昇天』できるからだ。パーキー・パットの世界に逃避できるからだ。このつらい現実から、ほんの一時的なことにせよ別世界へ逃げ出してしまえる。とはいえ、開拓地だけでなく地球も酷い有様だった。年々上昇していく気温は生身で野外を歩けないほどに達し、海も少しずつ干上がっていた。
そんな世界に、10年ぶりにパーマー・エルドリッチが帰ってきた。プロキシマ星からの帰還。そして、その帰還はキャンD商売に大打撃を加える事になる、とプレコグ達が予測する。キャンDを駆逐しかねない新たなドラッグ、チューZとは? そして、パーマー・エルドリッチは本当に人間なのか?
ディックの小説をいくつか読んできて、彼の書く世界は決してディストピアなどではなく、単に現実描写が歪んでいるだけじゃないだろうか、と思い始めた。現実に存在しないのは時間操作と未来予想ぐらいで、他は今あるもの、或いは将来出てきそうなものばかりだ。
そして登場人物、特に主人公は自殺願望を持っている場合が多い。破滅願望と言うべきだろうか? 何もかもがダメになってしまう、という感じをものすごく強く感じるのだ。あの強い虚無感。そして、ほとんどの場合、それは既にダメになってる。取り返しがつかない事になっている。何もかも失われたあとなのだ。
本書の主人公も例外ではない。周りじゅうからこづきまわされ、いいように扱われ、果ては悪夢にさいなまれ……。けれど、決してあきらめたりはしない。確かに酷い状況だ。何も手には出来ない。ドン底だ。そこから出られる保証もない。それどころか、もっと酷いことだって起こりえる。けれど、それでも生きていくほかに、一体どうしろというのだ?
しかし、まさかこれがファースト・コンタクト物だなんて、当初予想もしていなかった。もちろん、ディック的に歪んだ描写ではあるが、異星存在との出会いであることには間違いない。それは、本当に不幸で酷い出会いではあるのだけれど。