”一昔前”と言っても違和感が無い程度には時がたった、あの地下鉄サリン事件のインタビュー集。1995年 3月20日、それに遭遇した人々のインタビューが淡々と書きつづられている。「はじめに」に書かれているように、それは本当に淡々と書かれていて、最初の2人分くらいは違和感を感じるくらいだった。けれども、慣れてきたのか読み進むにつれて、だんだんとインタビューイの方々がそのとき、何を思い、何をしたのか、というものを感じられるようになった。そして、それはとてもつらいものだった。本当に、この事件は、つらく、ひどい。何回か、読み進めるのをためらった箇所もある。結局は、最後まで全部読んだわけだが。
終わりまで読んでしまってから、いざこの感想を書く段になって、ふと、最初に感じた違和感は、自分が最初に持っていた、この事件に対する印象のせいではないだろうか、と思いついた。本書には、イカレ教団にやられたアノニマスな市民、というものは存在しない。現実はもっと深く、そして複雑なのだ。そんなことは、少し考えれば思いつくことだが、しかし、それを感じることが出来る、というはまた違った事だと思う。それは、『
胸で感じろ、腹で感じろ』というものに近いような気もするし、そうではない気もする。が、それは何なのだろう? と考えたときに、真っ先に思いついたのがそれだったのだ。さらに、あえて自分なりに表現するなら、instance(実体)の動作から、class(型)が透けて見えた瞬間、とでも言おうか。もっと端的に、簡単に言ってしまうと”直感”、が一番近いと思う。
正直、これを通勤電車の中で読む、という行為はあまり気持ちの良いことではなかった。さらに、駅からゴミ箱が撤去され、やたらに警官が目につくようになった今の時期ならことさらだ。そして、この本を読んでいるときに、実際に緊急ブレーキが動作し乗っていた電車が止まった事があったのだが、それはもう嫌な気分だった。本当に、嫌な気分になったのだ。
本書の一番最後に、村上春樹氏によって書かれたまとめがある。事件のインタビューを通して感じたこと、オウムというものに対しての印象、等から始まり、中盤からは完全に村上春樹氏の独白になっていくのだが、これが一番文章としては面白かった。村上氏が小説家としてどういうプロセスで文章を作り上げていくのか、の一部がそこにあったからだ。そういった、理論に触れる瞬間、というのは僕にとっては楽しいことなのだ。そして、それ以外(まとめ以外)の部分は、あまりに事件と密接すぎるし、事件内容はあまりに酷すぎた。それは現実に起こったことなのだ。そして、僕は、それになんと言葉をかけていいのか、まるで思いつかないでいる。